雑学編
- 第1話辛子明太子のルーツ
- 第2話明太子の発展
- 第3話辛子明太子の元祖
- 第4話博多の辛子明太子
- 第5話辛子明太子の本場論争
- 第6話メンタイ・イクラ
- 第7話韓国のミョンテ
- 第8話ALASKAN POLLACK
- 第9話明太子の語源
【雑学編】第1話
明治時代に、会津藩士の息子樋口伊都羽は朝鮮に渡り、警察官となりますが、その後水産業を目指し、元山で明太(すけとうだら)漁業等に従事するようになります。
漁民が明太(スケトウダラ)の魚体だけを使い、卵のほとんどが捨てられているのを見て、商品化を考えました。
明太(スケトウダラ)の卵に唐辛子を細かく刻んで塩漬けし、「明太子」、「明太の子」という商品を作り、 評を得ました。
明治40年「明太子の元祖」という商標で釜山に樋口商店を創業しました。 これが辛子明太子のルーツと言われています。
【雑学編】第2話
第二次世界大戦までは、樋口商店の明太子は、朝鮮半島はもとより、関釜連絡船で、下関を経由して東京築地をはじめ、日本全国で売られていました。しかし終戦とともに、廃業しました。
戦後、朝鮮半島より引き上げて来た人が、この味を忘れられず、再現しようと、福岡・山口県を中心に明太子屋を始める様になりました。
この再現された味が日本中へ広がっていきました。
【雑学編】第3話
朝鮮半島の日本海側では、昔からスケトウダラが獲れており、
「明太」と呼ばれていました。
(詳しくは、雑学編第5話「明太子の語源」をご参照ください。)
樋口伊都羽さんが、明太(スケトウダラ)の卵を塩と唐辛子に
漬込んで商品化を行い、明治40年「明太子の元祖」樋口伊都羽商店を
釜山に開店し、非常に繁盛していました。
これが朝鮮半島だけにとどまらず、関釜連絡船で下関を経由して
東京築地をはじめ、日本各地で販売されていたそうです。
【雑学編】第4話
第二次大戦の後、朝鮮半島より引き揚げて来た方が、朝鮮半島時代に食べた明太子の味を懐かしく思い、博多でその味を再現したのが始まりでした。
その後、明太子の製造を始める店が多くでき、駅や空港で、博多名物として販売したり、東京や大阪等へ進出し「博多の味」として宣伝や販売する様になりました。
それで、全国的に「博多名物」として認知される様になりました。
【雑学編】第5話
明太子の本場と言われる所、あるいは主張している所が、3ヶ所あります。
韓国に行くと、空港等で「本場」辛子明太子と称して販売されています。
明太子が生まれた場所ですので、「朝鮮半島」が本場ともいえます。
博多には、数多くのメーカーがあり、博多商人の頑張りで全国へ辛子明太子を広げたので、今では明太子の本場と言われる様になりました。 戦後になって、辛子明太子の製造販売を始めた博多に対し、「下関」では戦前より辛子明太子を全国に販売しており、我々こそが本場だと主張しています。
【雑学編】第6話
数の子明太・いか明太と言えば、数の子やいかと明太子の和えものです。でも、メンタイ・イクラは、明太子とイクラの和えものではありません。
【雑学編】第7話
昔から中国がアジア文明の中心であり、近隣諸国では文字を持たずに漢字を借りて使用していました。
日本では、平安時代(794年~1192年)に平仮名の前身が登場しますが、朝鮮半島では15世紀頃にハングル文字が発明されました。
韓国でも以前は日本の漢字・仮名混じりのように、漢字・ハングル混じり文で表していました。
愛国心の高まりとともに1970年代より自国の文字は自国の文字でという事で、すべてハングル文字になりました。
【雑学編】第8話
ヨーロッパ・アメリカでは白身のタラのフライがよく食べられます。
代表的料理がフィッシュ・アンド・チップス(たらのフライとポテトフライ)
ヨーロッパでは「助惣鱈」は獲れず、「真鱈」が獲れます。
真鱈は貴重な食料であり、かつてイギリスとアイスランドの間で、真鱈資源をめぐって「タラ戦争」と呼ばれる紛争があったほどです。
しかし最近は急激に真鱈の漁獲が減少して、アメリカから「助惣鱈」のフィレを輸入するようになりました。
【雑学編】第9話
韓国では、明太子の語源として面白い話があります。
『李朝の時代に明川の漁師“太さん”が、珍しい魚を釣り、その名前がわからないので、
郡の主に相談したところ、郡の主も困ったのか、明川の“明”と相談した太さんの姓“太”とを掛け合わせて“明太魚”とした。』という話があります。
それ以降、韓国では、助惣鱈を“明太魚”と呼んだと言う話です。
こんな話が出来るほど以前は朝鮮半島では助惣鱈が良く獲れており、わざわざ明太魚と命名するような伝説話が後から作られたと解釈した方が良いのではないでしょうか?
【雑学編】第10話
「助惣鱈の語源」
一般的には「スケトウダラ」(介宗鱈)(助惣鱈)と呼ばれます。
学術的には正式和名は「スケトウダラ」(介党鱈)と表記します。
「スケトウ」と呼ばれるのは、佐渡島の佐渡を訓読みすると佐渡(スケ)島(トウ)になります。
これは佐渡島で多く獲れたことからきた語源と言われています。
昭和30年代・40年代までは朝鮮半島の日本海側、日本でも佐渡島あるいは
大平洋側の金華山沖合いくらいまでは「助惣鱈」が漁獲されていました。
第5話「明太子の語源」で出た、朝鮮半島の明川(ミョンチョン)もこの緯度のすぐ上に位置します。
今では、この地域は獲れなくなりました。これも地球温暖化の影響のひとつでしょうか?
ちなみに、(鱈)
漢字でも雪の多い時期に多く獲れるところから「鱈」と書かれます。体の表面が白い雪のようにまだら模様であるところから名づけられたとも言われています。
(たらふく)
同じタラ科の真鱈は大食漢で深海に生息する事から餌を食い溜する為、お腹が膨れるまで食べる事を「たらふく(鱈腹)」食べると言います。
【雑学編】第11話
以前は各地でたらこの呼び方が異なっていました。
関東地方では「たらこ」、甲信越地方では「紅葉子(もみじこ)」、博多では「明太子」と呼び、
同じ福岡県内でも地域によっては「タイの真子*」と呼んでいました。
今では、明太子と言えば全国どこでも、辛子の入った調味料に漬け込んだものを指します。
以前は、博多でも頭にわざわざ「辛子」を付けて「辛子明太」と言わずに、
ただの「明太子」と言えば「たらこ」を指していました。
博多の人は「たらこ」と言う言葉を知らなかったし、もちろん東京の人は明太と言う言葉は
知りませんでした。
*「タイの真子」
「たらこ」がなまって「タイ」の真子と呼ばれた説と、「たらこ」を高級に思わせる 「鯛」の真子に
呼び代えていたとの説もあります。真子は(卵)の種類です。
【雑学編】第12話
今や日本人の食卓にも大人気のキムチと明太子。
実は、その主役の唐辛子は日本から渡ったと言われています。
●唐辛子の伝来
朝鮮半島で食されるキムチなどに使用する唐辛子は、原産地の中南米より15世紀の大航海時代にヨーロッパに渡り、ポルトガル・オランダ人らによって東南アジアを経由して日本に入り、豊臣秀吉の朝鮮侵略時に朝鮮半島に渡ったとの説があります。
●韓国と唐辛子
今では、韓国の食卓に欠かせない重要な農産物の唐辛子。以前は自国農業保護のため、唐辛子の輸入を禁止していました。現在も45%以上の唐辛子が含まれていれば、関税(300%)を付加し実質的に輸入の制限を行っています。
もともとの韓国語のキムチの意味は、日本語で漬物のことを指します。また、唐辛子が日本から伝来する前のキムチは辛くなかったそうです。
キムチは唐辛子を使うようになり、美味しく、その上、唐辛子の抗菌作用で日持ちも良くなりました。
【雑学編】第13話
●明太子の英語名
欧米では、「辛子明太子」を食べる事があまり無いためか、英語で該当する言葉がありません。
というわけで、英語でもそのまま「karashimentaiko」となります。
しかし、輸出入の際はそれでは伝わらないため、「spicy pollack roe」と呼ばれることもあります。
でも、英語にすると何だか変ですね。
【雑学編】第14話
●辛子明太子の長期保存方法
冷凍(冷蔵)状態でお届けしますので、すぐお召し上がりにならない場合は、そのまま冷凍して下さい。
1本ずつ小分けしラップで包んで凍結しておけば便利です。
凍結した場合、3ヶ月を目安にお召し上がり下さい。
凍結したものを解凍した場合、商品の賞味期限に関わらず、1週間を目安にお召し上がり下さい。
●明太子の解凍方法
冷蔵庫内で1晩を目安に自然解凍して下さい。お急ぎの場合は、明太子に直接水にふれない様、ビニール袋等に入れて中の空気を抜き、水を貯めたたボールの中に明太子の入った袋を入れ解凍して下さい。
また、一度解凍したものを再凍結しますと、本来の風味が損なわれますので、お避け下さい。
●明太子の賞味期限について
各商品に保存方法及び賞味期限を表示していますので、ご参照ください。
辛子明太子には、保存料や防腐剤を使用しておりませんので、保存方法にはご注意下さい。
また開封後はお早めにお召し上がり下さい。
【雑学編】第15話
●「低塩」というのは、塩分が低いという事です。
「低塩明太子」にする場合、ナトリウム量が120mg/100g以下でなくてはなりません。
塩分量に換算すると、約0.3%以下しか含まれないという事になります。
現状、明太子の塩分(約5.6%程度※1)と比較すると、かなり厳しい数値になります。
※1 五訂日本食品標準成分表参照
●「減塩」というのは、塩分を減らしたという事です。
「減塩明太子」にする場合、比較する物より、ナトリウム量が120mg/100g以上、
塩分量に換算すると、約0.3%以上低減されたという事になります。
明太子の塩分を0.3%以上減らすのは、可能な数値かもしれませんね。
また、「うす塩味」等といった、味付けについての規制はなく、各社の判断に任されています。
【雑学編】第16話
●辛子明太子の年間消費量
"明太子の消費量は年間30,000トン位あると言われています。"
と言っても、なかなかピンときませんよね。 これを1食20gで計算すると‥
何と15億食分にもなるんです。さらにこれを、日本に人口約1億2700万人で割ると‥
1人あたり、年間約12食明太子を食べている事になるんです。
これは、赤ちゃんを含めた計算なので、実際にはもっと沢山食べている事になりますね。
【雑学編】第17話
辛子明太子の製造・販売に関わっている企業が所属する団体には以下の2つがあります。
【雑学編】第18話
●地域別消費量
「たらこ(明太子含む)」の消費量は、全国で1世帯当り平均2,386円なんだそうです。
しかし、実際のところ、地域によって差があるようです。
【雑学編】第19話
【雑学編】第20話
学術上、カタカナで「タラバガニ」と書きますが、
生息域が「タラの漁場」=「鱈場(タラバ)」と重なることに由来します。
また、「カニ」という名前がついていますが、実は「カニ」ではなく、「やどかり」の仲間なんです。
なので、「タラバガニ」は横方向ではなく縦方向にも移動できるんです。
【雑学編】第21話
主に1月~3月にかけて、「シアトル」でアメリカ産原料の入札(オークション)が行われます。
展示されたサンプル原料を見て、ファックスで入札を行い、最高値をつけた業者が落札します。
ロシア産原料については、同様に「釜山」で行われます。
【雑学編】第22話
●屋号とは
江戸時代から使われている1種の記号 で、文字を知らないものでも、屋号を見れば、
どこのものかが分かる様になっていたんです。
また、当時の庶民は姓が許されず、名前だけであったため、
それぞれの家を区別するためでもありました。
●代表的な屋号
屋号には色々な種類があり、大別すると「カネ」「マル」「ヤマ」「カク」「ヒシ」等があります。
「屋号」という言葉はあまり聞かなくなりましたが、見覚えや、聞き覚えのある屋号が多いですね。
【東福水産】
今では「かねふく」という社名ですが、元々は屋号だったんです。
「かねふく」の前身である、東福水産株式会社が、東福の「福」に「┐(かね)」を付けたものを
屋号として使用していた事に由来します。
【東福水産】
水産業界では、=東福水産であり、問題はなかったのですが、一般の人にはそうはなりません。
そこで屋号の呼び名“かねふく”を社名に変更しました。
【小話】
の屋号を使用されていた、大洋漁業株式会社は、「マルハ株式会社」へ社名を変更されました。(その後、株式会社マルハニチロ食品へ社名変更)
【雑学編】第23話
30年程前までは、福岡県内では「たらこ」の事を「たいの真子」と呼んでいました。
しかし、福岡市内とその周辺だけは、「明太子」と言われてました。
この事からも、朝鮮半島で生まれた辛子明太子が、博多で再現され、
全国へ広まっていった事がわかります。
【雑学編】第24話
タラは、タラ目・タラ科に分類される魚の総称で、おもに寒い地域の海に分布する肉食魚です。
背びれが3つ、尻びれが2つに分かれていて、これが大きな特徴となっています。
「鱈」は、魚ヘンに雪と書く、趣のある和製漢字なんです。
マダラ、スケトウダラ、メルルーサ等タラの仲間は、世界各地で漁獲されています。
精巣は白子として珍重されています。
ちなみに、ギンダラはタラではなくカサゴの仲間で、タラとは全く別の魚なんです。
【雑学編】第25話
一口に唐辛子といっても「本鷹」「三鷹」「鷹の爪」「八房(やつぶさ)」「島唐辛子」、
激辛で有名な「ハバネロ」等色々な種類があります。
辛子明太子において唐辛子の役割は、辛さはもちろんですが、香りも大切なんです。
なので、各社が求める辛さと香りを引き出すために、
色々な唐辛子を独自の配合でブレンドしているんです。